なまえ (嶋本と高嶺)
昔から比較的頭の切り換えの早かった自分が、例えば何かで落ち込んで立ち止まったとき、いつからかいつも隣にいたような気のするその人が怒る観点は、決してその落ち込んでいる内容やら原因やらではなくて、最後の最後にいつもいつも、語気を荒げたそのままで、お前がそないやったら俺は名前負けか、と、なんとなく判りそうで、実は論点のずれている、互いの名前についてなのだった。
名前 (嶋本と高嶺)
昔一度何かの拍子で名前の話になったとき、自分よりも頭の切り換えの早いそいつは多分何の他意もなく、単純な感想として、あなたはなんだか名前に急かされているみたいだ、といつものあの優しそうで、その実、ひどくひねくれている、そんな笑顔でいうものだから、それからなんだかそいつが落ち込んだり立ち止まったりで鬱陶しい空気を背負うたびに、だったら俺は名前負けか、と怒りが込み上げてくるようになって、そうしてそれをやはり何かの拍子に怒りに任せてぶつけてしまったが最後、論点がずれていることくらい判っているのに、なんだかそれに触れるのが常になってしまった。
海の底から (嶋本と高嶺)
病院からの薄暗い帰り道、けして寒くはないはずなのに、それでも自分の奥底がひんやりと熱を持っていないのがわかる。
「よかったですね、あまり大したことがなくて」
「・・・せやな、酸欠なら明日の朝には勝手に出てくるやろ」
あの隊長やし、とごまかしてみても、本当は、反対の気持ちで溢れそうになっている。何がよかったのか、何もよいことなどなかったのに、と、そう思って反論したくなるのは、ただ自分に後ろめたい気持ちがあるからだろうか。
「・・・・・高嶺」
「はい」
「――――・・・お前なら行ったか」
自分の横を歩かずに、半歩ほど後ろを歩く救命士に問いかける。疑問にしては、ずいぶんと語尾が上がらなかった。それなのに、自分を気づかって半歩後ろを歩く救命士は、悩んだ末のその問いかけにいとも簡単に、いいえと即答する。
「なんや、ずいぶん早いな」
「ええ」
「いつ、決めた」
「隊長と出会った時からです」
予想外にも程がある返答に、思わず立ち止まり、振り返って、まじまじとその顔を見つめる。
あいかわらず目が開いているのだか閉じているのだかわからないその優しい表情は、薄暗がりの中で一片の狂いもなく優しくいつも通りだった。
そうして、その口から答えを吐く。
「私達の中で殉職者が出るとすれば、あの人が最初だと決めていますから」
「・・・・・・・お前、」
寒くはないはずなのに、先ほどまで冷えていたのとは別のところから、すっと熱が逃げた。
言葉が続かない。なにも、返せない。
誰より先に、誰よりも先へ進んでいこうとするその人。
「お前が、決めることと違うやろ」
「ええ、そうですよ。だからこそ、あの場であなたが救助へ向かうと判断したら、止めるつもりでした」
「―――、おまえ、」
絶句して、顔を背けて目を閉じると、耳の奥で星が爆ぜる音がした。
東京に比べれば澄んでいるはずの空気がやけに重い。そこで呼吸する自分が、肺から濁っていく。
軽く頭痛がし始めて、明日もう一度あの人に会うときまでに答えを出すにしては、ずいぶん悩む覚悟が必要そうだ、と、夜中の安息をあきらめた。
空の上から (嶋本)
それでいい、と、その人は柔らかく言った。あろうことか少し笑っていた。
だから、頭を下げて背を向けて、頭を抱えてうずくまることにした。
昨日の夜から考えすぎで磨耗している頭が悲鳴を上げる。
捻じ伏せてもう一度、最初から繰り返す。
地上に降りるまでに整理がつけばいいと、ぼんやり遠い望みを抱いた。
嶋本さんの名前と西海橋。
西海橋は考え始めるとぐるぐるがとまらなくなるので、注意が必要です。
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